序章


「何もこんな時期に出かけなくても…」

 白皇山との黒境を前に、獅子の貌を持つ緑の国王、ジェイドは心配そうに隣を見る。

 隣を歩む妻、リリィのお腹には、新たな生命が宿っている。

「あら、少しくらい歩いたほうがこの子のためにもいいのよ」

 リリィは愛おしそうにお腹をさすり、ころころとした表情で笑う。

「おめでたいことだもの、故郷には報告しておかないと。それに貴方との思い出の地を、この子にも見せてあげたいしと、ね」

「……」

 リリィは、この世界には珍しい白の色人だ。

 白の色人は、今では他色種との交流を断ち、世界の中央に聳える山、白皇山の他にほとんど存在しない。

 リリィは、そんな白皇山の在り方に疑問を覚え、下山してきた。

 そして、黒境で黒に染色されそうになっていたところを、ジェイドに助けられたのだ。

 黒、とは人々が流した色が、混じり合って生まれた存在だ。

 黒は大半が自我を持たず、ただ本能に従って他の色を染色していく。黒境とは、そんな黒で溢れかえる領域だ。

「怖くは…ないのか?」

 動色物は、本能的に黒を恐れる。

「うーん、怖い、って言うよりも、私には可哀想に思えるかなぁ」

 しかしリリィは、あまり黒を恐れない。

 白は、黒に対抗するために光の世界から遣わされた存在だ。

 そのため、黒が怖くないというのは、白ゆえの特色かもしれない。

 一方で、白は黒を除染するという天命が与えられているため、本能的に黒を憎み、攻撃する性質があると言う。

 ゆえに、黒のことを可哀想と言うリリィはやはり、白としても変わった考えの持ち主なのだろう。

「むしろ今では感謝してるくらいだよ。そのおかげで、貴方と出会えたんだもの」

 イタズラっぽいリリィの笑顔に、ジェイドは赤面する。

 他色種の愚かさを嫌悪し、他色種との交わりを忌避してきた白…

 そんな白の中で特異な考えを持つリリィだからこそ、自分と一緒になってくれたのだろう、とジェイドは思う。

(それゆえに、私の何をおいても大切にしなくては)

 決意と共に、ジェイドは辺りへの警戒を強める。

 すると、黒境から小型の、単眼の黒が飛来する。

「! 下がれ!!」

 ジェイドはリリィの前に立ちはだかり、迎撃体制を取る。

「キュィ! キュイ!!」

「!?」

 しかし単眼の黒は、ジェイドたちを攻撃することはなく、何かを伝えるかのように彼らの頭上を慌ただしく飛び回る。

「呼んでいる? 何か困ったことがあるのかしら…」

「キューイ!!」

 リリィの声に、我が意を得たり、と黒は頷く。

 そして、黒境の中へと戻っていく。

「…ついてこい、ってことかしら?」

「……」

 ここで引き返そうと言っても応じるリリィではないことは、ジェイドが誰よりも分かっていた。

「行こう。ただし、決して私のそばを離れるな」

「それでこそ、私が惚れたジェイドだね!」

「……」

 * * * *

「キュイ! キュイ!!」

 黒境へ足を踏み入れるとすぐに、先ほどの黒が待っていた。

「この…子は?」

 そして黒が身を置くその下に…鈍色に光る、衰弱した一人の幼子が横たわっていた。

「貴様がやったのか!!」

「待って!!」

 黒に襲い掛かろうとするジェイドを、リリィが止める。

「染色して黒に取り込みたいだけなら、私たちを呼んでくる必要はない。むしろこの黒は…その子を助けようとしているのよ」

「黒が…人を助ける?」

「キュィ!」

 二人は改めて、一人と一匹を観察する。

「子供が放つあの光は、おそらく白由来のもの…だが、単なる白ではない鈍色の光…」

「きっとあの子は、私と同じように下山してきた白の色族。けれど私とは違って、偶発的に転がり落ちたか、もしくは…」

「…意図的に捨てられた、か」

「…そういうことね。そして黒境で生きていくために必要な、黒に対する抵抗力を…あの黒が少しずつ分け与えることで、鈍色の光が出来上がったというわけね」

「……」

「けれど色神の恵みの届かない黒境では、人が成長するための十分な栄養は確保できない。だからあの黒は、私たちをここに連れてきたのよ」

「キュィ……」

 二人のやり取りがひと段落すると、単眼の黒は安心したように、幼子の額に消えていく。

 そしてその額には、第3の眼が浮き上がる。

「…こんなことが」

 色人と黒の共生…あり得ないと考えていた奇跡が、今、ジェイドの目の前にあった。

「育てましょう、私たちの手で」

 そして予想通りの声が、隣から聞こえた。

「そう、だな」

 ジェイドにも異存はなかった。

 ぽこん

 リリィのお腹がわずかに揺れる。

「ふふ…この子も賛成みたい」

 この出会いがこの子にとって、そして世界にとって、幸せなものになりますように…

 ジェイドはそう願いながら、幼子を抱いて黒境を出た。

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