「くそっ…何で破れないんだ!!」
海底牢獄の扉に向かって、半爬人族の少女ベイルは、その左腕を打ち付けている。
ベイルの左腕からは、生まれつきの奇形によって、蜥蜴の尻尾が生えている。
爬人族の特色によって、その尻尾は何度でも生え変わる。
それゆえにベイルは、幾度も尻尾を打ちつけては…千切れたら再生し、また打ちつけるを繰り返していた。
彼女の尻尾には痛覚がある。そして再生の際には、身を捩るような痛みが襲う。
それでも彼女は歯を食いしばり、己の不甲斐なさと主への申し訳なさを込めて、自傷のようにその行為を反復する。
かつ、かつ、かつ…
「…まだやっていたの? 無駄だよ。この『貝牢(かいろう)』は殻人族(シェルズ)の粋を集めて作った特別性…何度やっても君には壊せないから」
貝殻でできた通路に軍靴の音を響かせて、青王直属の美青年騎士、セレストが姿を現した。
「貴様ぁぁあああ!!」
ベイルは牢扉を挟んで、セレストに吠える。
先日のアイビィの王位継承報告…その建前もほどほどに、青王シアンはアイビィに軍事同盟を持ちかけた。
青ノ国の世論は今、赤ノ国の侵攻に危機感を持ち、先んじて海の外に防波堤となる領土を拡大しておくべきだとする積極的防衛論に傾いている。
その先導者であるシアンは、先の戦乱で発揮された、黒境を制圧し得るアイビィの『白』の力に目をつけたのだ。
しかし、自分の力を戦争を広げるために使いたくない、と断るアイビィを、青王は近衛騎士に命じて幽閉した。
そして騎士たちから主を守ろうと、孤軍奮闘するベイルを打ち据えたのが、ここにいるセレストだった。
「緑の王女も、君も…どうしてそんなに必死になるの? どうせ最後にはみんな、青王に従うことになるんだよ? だったら最初から素直にしておけば、嫌な思いをしなくてすむのに」
セレストは理解ができない、というように、形の良い眉を顰める。
「…分からないだろうな、貴様のように、抜け殻として生きているような奴にはな!!」
ベイルはセレストの、心を捨てたような浮世離れした姿と所作に、アイビィと出会う前の自分を重ねた。
「へぇ…君は面白いことを言うんだね」
セレストは、そこで初めてベイルの瞳に視線を合わせる。
「非対称な色の瞳に、不完全な鱗と尻尾…青王が言う『美しさ』とは真逆の存在なのに」
「……」
爬人族の女性は、その鱗並みが整っているほど美しいとされる。
だからベイルは、生まれた時から『醜い』と言われ続けてきた。
しかし、今ではむしろ感謝している。
そのおかげで、心の美醜に気付けたのだから。
「それでも、心が醜いよりはマシだと思うがな!!」
ベイルは再び尻尾を扉に打ち付ける。
(こんな己を信じてくれる…アイビィの想いに応えなくては!!)
「……」
ベイルの行動を、セレストは興味深そうに眺めている。
その奇妙な時間に終わりを告げたのは、セレストに届いた空飛ぶ巻貝…九鳥貝(ハトガイ)の伝言だった。
九鳥貝は鸚鵡貝(オウムガイ)と同じく貝線鳥(かいせんちょう)の一種だが、速い飛行速度を持ち往復通話が可能である。近衛騎士であるセレストに九鳥貝が告げたのは、竜宮殿への侵入者の報告だった。
「もしもし。あぁ…分かった、すぐに行くよ」
セレストは九鳥貝に返信メッセージを吹き込んで、放つ。そして、ベイルに向き直る。
「宮殿にモグラが入り込んだみたい。もしかして君たちの知り合い…なのかな?」
そして彼にしては珍しく、挑発的な声でそう言うと、彼は貝牢を後にした。
ガシャンッ!!
貝牢には再び、ベイルが立てる打撃音だけがこだました。
* * * *
「わ、わわわわわわわ〜?!!」
ずし〜ん!!
カーキの兄、レンジに急拵えで仕込まれた防水加工の術色で、潜水形態となったアリーは、半ば墜落するような形で竜宮殿に突っ込んだ。
「ちょっと?! バカーキ、もうちょっとちゃんと操縦しなさいよ!! これじゃ、バレバレじゃない!!」
後席に座るレモンが、カーキの頭を踏みつける。
「いやいや、にわか仕込みにしては上出来やで。アリー、よう頑張ったな!」
「リィ!」
めげるどころかむしろ嬉しそうに、カーキはぐいと胸を張る。
ざわ、ざわざわ…
アリーから降りて、宮殿内に降り立ったクロム達一行を、魚人族(マーマン)の兵士たちが取り囲む。
(そりゃあまぁ…そうなるよね)
クロムは覚悟を決めて、剣をもつ手に力を込める。
(キキキ…楽しくなってきたな!!)
額のモノは、何故かご機嫌だ。
「やるしかないわね! 行くわよ、皆のもの! アイビィ救出大作戦よ!!」
持って生まれた女王蜂の素質だろうか、自然とレモンが指揮を執る。
「おおー!!」
通常形態に戻ったアリーに乗って、カーキが門を目指して突撃する。
侵入者に慣れていない魚人族の門兵たちは、色めき立つ。
かつ、かつ、かつ…
そこへ、場に不似合いなほど落ち着いたリズムで足音を鳴らし、門前にセレストが立ちはだかる。
「どけや!! ワイは、長身のスカしたイケメンがいっちゃん嫌いなんやぁぁああ!!」
セレストの整った容姿を一目見て、戦意を高めたカーキがアリーでぶちかましを仕掛ける。
「…うるさい。そっちこそ、どいて」
対するセレストは、持ち前の美しい貝盾をぞんざいに構える。
がっしゃーん!!
「嘘やろ?!」
カーキの予想に反して、吹き飛んだのは質量に勝るはずのアリーだった。
アリーがブロック状に分解したことで、足場を失ったカーキはそのまま宙を後転する。
そして、レモンに受け止められる。
「あはは…た、ただいま」
「…ダッさ」
(しゅん…)
レモン渾身の蔑みの目で、流石のカーキも項垂れる。
(…しかし、笑い事ではないぞ)
コミカルな展開に頬が緩みそうになるが、煉瓦人形(ブロックゴーレム)であるアリーの強度は伊達ではない。
(キキキ…。てことはあの騎士の強度は、もっと伊達じゃない、ってことだな!)
クロムの額でモノが笑う。
「リィ…」
アリーはコアブロックを中心に再構成を始めているが、おそらくは先ほど以上の戦意は望めないだろう。
「俺が、行くよ」
クロムはそう言い残すと、一直線にセレストへ向かう。
「へぇ…速いんだね」
言葉とは裏腹に落ち着き払った声で、セレストは盾でクロムの初撃を受ける。
「まだまだっ!」
受け止められた盾の表面を、滑らせるようにクロムは次の剣撃を放つ。
ギィン!
「!!」
しかしその剣撃は、セレストの貝槍に阻まれる。
(なかなかに死角がないな!!)
感心したようにモノは驚く。
(…本当にね!)
これだけの攻防の間にも涼しい顔を崩さないセレストに、クロムも驚きを禁じ得ない。
その時セレストの背後から、鞭のような一撃が襲いかかる。
「…?!」
セレストは顔を捻って直撃を避けるが、かすめた頬から色が流れる。
「へぇ…出てこられたんだね」
セレストが振り返ったそこには、傷だらけのベイルが息を切らして立っていた。
「壊してきてやったよ。貴様が言うほど、無駄、ってことはなかったな!!」
「ベイル?!」
王城でのやり取りを知らないクロムは、突如として現れた幼馴染の姿に驚く。
「クロムか。何してたんだよ、アイビィの隣を守るのは、本来お前の役目だろ」
ベイルの側も、久方ぶりの懐かしい顔を見て、俄かに気持ちを奮い立たせる。
「……」
セレストはほんの少しだけ目を細めると、盾をクロムに、槍をベイルに向けて、油断なく構え直す。
「そこまでじゃ!!」
「!!?」
竜宮の展望台から、待ったをかける声が降る。
「妾の宮を土足で踏み荒らす狼藉(ろうぜき)…これ以上続けるというのなら、其方らの大切な王女の顔に、傷をつけることになるぞよ?」
展望台には、アイビィを伴って青王シアンが現れていた。
「アイビィ!!」
ベイル、レモン、そしてクロムが同時にアイビィの名前を呼ぶ。
そして一同は、ひとまずは無事そうに見えるアイビィの姿に安堵する。
「みんな、ごめん…私の考えが甘いばっかりに…」
アイビィはトレードマークの猫耳をしゅんと垂らし、目に涙を湛えている。
「ほほほ! まずは皆、武器を置くのじゃ! この可愛らしい王女の顔に、醜い傷をつけられたくなければな!!」
軟人族(モルズ)と魚人族の混血であるシアンは、タコのような足でアイビィを羽交い締め、ヒレのような爪をその頬に沿わせている。
「……」
クロムを始めに、レモン、カーキ、そしてベイルが、武器を持つ者は武器を置き、両手を上げる。
「…別に、僕がぜんぶ片付けるのに」
セレストは、言葉ほど残念そうなそぶりも見せず、空虚な瞳をシアンに向ける。
「ほほほ。無論、其方が負けるなどとは思っておらぬよ。しかし、その美しい顔にこれ以上傷がつくことに堪えられぬ妾の想い、汲み取っておくれ」
シアンは猫撫で声を発する。
「……」
セレストは無言で、槍を収める。
「さて、せっかく皆が集まったのじゃ…」
シアンはアイビィを抱えたまま、ふわりとセレストの横に降り立つ。
そして残り7本の足を伸ばして…一斉にクロム達を絡め取った。
「な…?」
「ほほほほほ! さぁ、先の交渉を再開しようぞ! アイビィ、この者たちをこのまま締め殺されたくなかったら…青ノ国の陸上進出のため、その力を我々のために使うと誓いなさい!!」
「き…汚いわよ!?」
絞められながらもなんとか声を絞り出し、レモンは抗議する。
「この美貌に向かって、汚いとは何事か?!」
シアンはレモンを絞める力を強める。
「ぐぅ…!」
レモンは苦しそうな悲鳴を上げる。
「やめてください!!」
たまらず、アイビィは叫ぶ。
「ほほ…やめてほしければ、どうすればいいと思うかの?」
シアンは口元を三日月に歪める。
「私が…協力します…から」
「ほほほほほほほほ…ほ?」
勝ち誇るように笑うシアンの声が、唐突な疑問符で途切れる。
それもそのはず、目をかけていたはずのセレストが、レモンを締めていたシアンの足を切り落としたのだ。
「美しくないものに価値はない。そう教えてくれたのは青王、貴女だったね」
セレストは滔々(とうとう)と語り始める。
「今の貴女は、美しくない」
「セレストぉぉぉぉぉおおおおおおお!!!!」
シアンは顔を大きく歪め、咆哮する。
セレストと、いち早く解放されたレモンはそれぞれ他の足を切り、囚われた面々を解放していく。
アイビィを含め、全員が自由の身となった時…
「許さぬ、許さぬぞぉぉおおおおお!!」
般若の形相を浮かべるシアンが、足をより強靭に再生させ、所狭しと暴れ狂った。
「…おいで。潜水艇で逃してあげる」
意思を取り戻したセレストは、一同を近衛騎士団が保有する潜水艇へと案内する。
そして皆を送り出そうとするセレストに、ベイルが声をかける。
「あんたも来なよ。そこは…今のあんたには窮屈すぎるだろ?」
アイビィ以下、他の面々も首肯する。カーキだけは、若干首をすぼめているが。
「僕は…」
しかしセレストは躊躇する。
「逃がさぬ…逃がさぬぞぉぉおおおおお!!」
そこへ一同を絡め取ろうとする、シアンの触手が迫り来る。
「ほら!」
「?!」
セレストの目の前に、傷だらけの蜥蜴の尻尾が垂らされる。
「あの触手と己の尻尾…少しでもマシだと思う方につかまりな!」
そこでセレストはくすりと笑う。
「やっぱり君は、面白いな」
そう言うとセレストは…迷うことなく、ベイルの左腕をつかんで潜水艇に乗り込んだ。
次話>
